旅行

先週、平日に有給をとって久しぶりに旅行に行ってきた。一泊二日の旅行。そこそこの宿を取った。

旅先であれを読もうこれを読もうと鞄に詰めた本をずっと読んでいた。

どうもやっていることは普段の休みとそう変わっていないはずなのに、何故こうも時間が輝いている気がするのか。考えて見ると、旅行というものは、そこに滞在できる時間が限られているから、その時間を有意義に過ごそうという(もったいないと思うような)考えになるので、時間に艶が出るのだろうか。

時間は有限であることを誰もが知っているはすなのに、これが80年とかの話になると人間の尺度では捉えにくくなって、つい、日々を、無下にしてしまうこともある。

人間が時間という尺度を捉えられる能力。他の言い方をすれば人間のタスクで処理できるのはせいぜい目先の数週間くらいなのだろう。

つまり人生はこれの積み重ねだから、終わりを意識して有意義に生きようとか別にそんなことは思わない。

人類的に言えば、そういう考え方の方がきっと共感者が多いはずだ。ただ、時間的な制限はその中身を濃いものにしてくれるかもしれないということは事実だと思う。

時間には終わりと初めがある。それは対立するものではない。本来いっしょに在るべきもの。ふたつでひとつ。そういうものだろう。

僕は有意義な時間を作り出すことは不向きな方だ。つい、時間を無駄にしてしまうことがある。そういう人間だから突然終わりが来た時に、理解できるように終わりが時間にはあることを考えておく。これは布団の中でも出来ることだから。