鳥貴族でコーヒーを飲みたい

以前、Twitterの方でこんなことを呟いた。

 


すると妙に反応してくれる人が多かったので、同じことを考えている人は多いのかもしれない。

雑誌WIREDのなかで日本版前編集長の若林恵のEDITOR’S LETTERのなかにこんな話があった。私もお酒があまり飲めないので、飲み会だとかに行くよりはコーヒーを飲んで話でもしたいなと思う方だ。

 

「お酒がダメなので、昼でも夜でもやたらとコーヒーを飲む。スタバはタバコを吸えないし、深夜はやってないので却下。深夜であれば何杯でもおかわりできるファミレスが望ましい。そこで、友人と延々与太話をしたりする。ほとんどはロクでもない内容だけれども、4、5時間話し続けたあげく、面白い地点に到達することがある。おおげさに言えば、いままでお互いが考えてもみなかった新しい認識にたどりつくようなことがある。気になりつつも放置していた情報やアイデアが思わぬところで結びついたり、ぼんやりしていた企画がくっきりと像を結んだり。新たなパースペクティヴが生まれる、とでも言おうか。」 

 

よく久々に友人と会話したりすると、「今度飲みに行こうよ」などというセリフはこんな時の常套句。別にお酒の席じゃなくてもいいんじゃないのと思うけど。「今度コーヒーでも飲みに行こうよ」というセリフはこういう場面で出くわしたことはないし、私も発したことがない。
そもそも、「飲みに行きたい」とかそういう意味をこの場での「今度飲みに行こうよ」という言葉には含まれていない。「久しぶりだね」という頭語に対する結語みたいなもので、拝啓に始まり敬具で終わるような、ある種のマナーなのだ。

いつの間にか友人たちや会社の人間とはアルコールがセットの付き合いになっていた。これは大学生以降顕著に見られる付き合いの場の選択肢の減少。
アルコールを挟まないで関係を維持できる友人たちってあなたどのくらいいらっしゃるの?って、自分に語りかける。
いや、酒の席というきっかけでしかいつの間にか集まることがなくなってしまった。
いや、そういうことでは酒の席というものは希少なものだと思う。自問自答する。

ほんとは会社の同期とはコーヒーでも飲みながら建設的な話をすることを夢見てる。上司がどうのとかそういう話は面白くない。何が好きでいま何に夢中で何がしたいとかそういう話をしたい。
友人たちともコーヒーを飲みながら哲学や倫理について、これからの生き方について大いに語り合いたい。酔っ払った自分という盾を構えて話すのはたまには休みたい。脳をカフェインで覚醒させて大いに語り合う。そんなこともいいと思います。