通勤とサードプレイス ①

 


通勤という行為は具体的に謂えば「通勤」によってファーストプレイスである「自宅」とセカンドプレイスである「職場」を結ぶ行為です。

改めて考えると当然のことのように感じますが、極めて近代的で合理的な行為だと思います。

例えば電車に乗ってしまえば乗車駅から降車駅までのあいだの駅は、どの程度列車が進んだのかという指標でしかありません。

 

f:id:rapier:20180812160955j:image

 

多くの人にとって通勤という行為は苦しいものだという認識であるということは、今更語るに及ばないことではありますが、ではなぜそもそも通勤はなぜ始まったのでしょうか。

それは輸送機関の発達と郊外化によって齎されたと言っていいと思っています。過去の通勤事情は汽車の登場によって大きく発展を遂げます。馬車よりも速く、大きい輸送機能を備えた列車は一部の労働者の通勤事情を変えていきます。

 


西洋の話で云えば汽車が登場した際、所謂列車通勤を行えるのは、知的労働階級のエリートのみでした。医師、弁護士、会計士など、その背景にはまず運賃の高さと定期券が当時の一般的な民の年収の数倍の値段もしたところから到底、手が出るものではありませんでした。列車で通勤をしているということは、それだけでステイタスでもありました。

また郊外化を進めて要因として西洋では都市の衛生状態の悪化にありました。すでに都市部の人口密集化はピークを迎えていました。それに対しライフラインはすべての人に行き届くことはなく、スラムでは劣悪な衛生環境の中で労働者が暮らしていたと言います。そういった背景もエリートたちを都市から脱出させる理由となっていた訳です。

 


そんな歴史から始まり、現代の通勤事情へ繋がっていく訳ですが、やがて「自宅」でもない「職場」でもない第3の居場所の概念が登場します。それがサードプレイスという考え方です。

サードプレイスの提唱者であるオールデンバーグはサードプレイスには条件があると言っていましたが現在、サードプレイスが意味するところ、つまり広義の意味として皆が理解しているところで言えば「自宅でも職場でもない心落ち着く場所」という意味が皆さんの理解と合致しているのではないでしょうか。

 


サードプレイス―― コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」 サードプレイス―― コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」 | レイ・オルデンバーグ, マイク・モラスキー(解説), 忠平 美幸 |本 | 通販 | Amazon

良書です、やはりサードプレイスを語る上では通勤の語らなければいけないのでしょうか。

 


つづく