知識と鎮痛薬

主観拡大の装置ばかりが身の回りに溢れる中で、ペイン型の情報のみが気づけば身の回りを囲んでいることに気付く。誤った知識は、誤った知識を確証させる証左のためにクリックを繰り返す原動力となり、批判を受ければ止むこともなく逆発火的に加速させるのみに至る。思うに、ゲイン型の情報があまりにも不足している。価値観を広げるための知識。皮肉なことに、それが知識の知識たる理由だったはずだが、それはもう忘れられている。対人関係のなかにある、痛みのために用いられるような知識は止まない痛みへの鎮痛薬のようなもので、原因への対処にはならない。