煙草
煙草は口実とその先にある偶然のために吸っている。
もし辞めたら、ベランダに出る口実がなくなる。
夕方、山に流れる雲を眺めたり、夜景を見て、考えに耽ることもなくなる。
吐き出した煙を目で追った先にある景色に気が付くこともなくなる。
世に無駄だと言われるものは、その先にある偶然を切り捨てて無駄だと言われている。
日の名残
窓際にソファを置いて、夕日を眺めて珈琲を飲みつつ、仕事しようとしたけど、全く手付かずだったと後悔をするのも、いい日曜日の過ごし方だ。
そうこうしてるうちに、外は真っ暗になって、もう取り返しがつかなくなる。
日が出ているうちは、まだ何か取り戻せる気がする。だから、焦るわけだ。いっそ、取り戻すべきだと感じるものは、手から放してみるべきだ。そうした時に、本当に日が暮れる。
哲学するとは何か
殊に哲学に関する批判は、人批判性を多少なりとも含んでしまう。それは哲学が理論の提示では、哲学しているとは言えないように、自分の生き方が哲学しているかを考える際には重要になるからだと思う。だから生き方に関する批判的性質が少なからず含まれてしまう。それ故に哲学に関するディベートは、内省に役立つ。
哲学するとは、つまりどう生きるかへの配慮する行為によって完成する。
生き方に哲学が生きている状態が哲学者だと思う。もっと軽率に言えば、ライフスタイルと言える。何故ならば、哲学の実践は、この貴方と私の人生のうえにしかありえないから。
哲学は宇宙のための学問ではない。この貴方と私の人生のうえのための学問だと考えている。それは、語りえないものを含んだ範囲を意味している。むしろ、哲学は、この宇宙以外の語りえないものを、拾いあげる役割があると思う。
枯葉
部屋で本を読むことにも飽きてきたので、近所の自然公園を散歩した。
夕暮れになって、陽の光が地面の落ち葉に反射して綺麗だった。最初は何が光っているのか、分からなかった。ずいぶん長い間、地面の枯葉を眺めていた。