硝子があることに気づいた。
それを通じて起きる歪みや反射でしか、それを知ることが出来ない。
鈴木大拙曰く。
己れは己れだけで知れるものではない。己れならざるものがあるので己れもまたよく認知せられる。
思うに、認識する主体としての自己の自覚。それがその一歩だろう。
鈴木大拙はまたこう述べている。
無限の数といっても、それはいずれも一単位から始まるのである。驚くべきはむしろその初めの一にあるのだ。「一」というとき、既に無限がその中に在るのだから。
「今・此処」にあるという自覚。それ自身が己れならざるものの輪郭を明確にするのだから。