待つこと

待つことが出来ないのは、待つことの怖さにある。

このまま、待っていても何も自分だけ得られないのではいか。

自分よりもはやく、誰かが大切なものを持っていくのではないか。

そういう気持ちが、待つことの怖さを増幅させ、痺れを切らして動いてしまう。

 

待つこととは何だろう。種も蒔かずにもし、実りを待っているようなら笑われる。

待つとは、実現まで自分の持っているものを投資し、成果を急がないことにある。

投資を兼ねない待ちは、何もしていないのと同義だ。そのようでは、全て奪われて何も得られない。

待つために他のことをしていてもいい。

色んな待つことを育てるのは、待つために必要なことなのかもしれない。

煙草

煙草は口実とその先にある偶然のために吸っている。

もし辞めたら、ベランダに出る口実がなくなる。

夕方、山に流れる雲を眺めたり、夜景を見て、考えに耽ることもなくなる。

吐き出した煙を目で追った先にある景色に気が付くこともなくなる。

世に無駄だと言われるものは、その先にある偶然を切り捨てて無駄だと言われている。

日の名残

‪窓際にソファを置いて、夕日を眺めて珈琲を飲みつつ、仕事しようとしたけど、全く手付かずだったと後悔をするのも、いい日曜日の過ごし方だ。

そうこうしてるうちに、外は真っ暗になって、もう取り返しがつかなくなる。

日が出ているうちは、まだ何か取り戻せる気がする。だから、焦るわけだ。いっそ、取り戻すべきだと感じるものは、手から放してみるべきだ。そうした時に、本当に日が暮れる。

区切りとは

時間に区切りを見出すのは、人間にしか出来ない。

死という終わりを知っているから、その中に区切りを見出すことが出来る。

死を認識するとは、即ちこれ以降を認識出来ることにある。

ただ殆どの人間は、その区切りが何のためにあるのかを知らない。

仏道曰く、生死の自覚が今の価値を知らしめる手立てになる。

毎日が年の瀬のように思い、やり残したことはないか?と自問しながら

1日1日を大切に生きたい。