硝子

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硝子があることに気づいた。

それを通じて起きる歪みや反射でしか、それを知ることが出来ない。

 

鈴木大拙曰く。

己れは己れだけで知れるものではない。己れならざるものがあるので己れもまたよく認知せられる。

 

思うに、認識する主体としての自己の自覚。それがその一歩だろう。

 

鈴木大拙はまたこう述べている。

無限の数といっても、それはいずれも一単位から始まるのである。驚くべきはむしろその初めの一にあるのだ。「一」というとき、既に無限がその中に在るのだから。

「今・此処」にあるという自覚。それ自身が己れならざるものの輪郭を明確にするのだから。 

待つこと

待つことが出来ないのは、待つことの怖さにある。

このまま、待っていても何も自分だけ得られないのではいか。

自分よりもはやく、誰かが大切なものを持っていくのではないか。

そういう気持ちが、待つことの怖さを増幅させ、痺れを切らして動いてしまう。

 

待つこととは何だろう。種も蒔かずにもし、実りを待っているようなら笑われる。

待つとは、実現まで自分の持っているものを投資し、成果を急がないことにある。

投資を兼ねない待ちは、何もしていないのと同義だ。そのようでは、全て奪われて何も得られない。

待つために他のことをしていてもいい。

色んな待つことを育てるのは、待つために必要なことなのかもしれない。

煙草

煙草は口実とその先にある偶然のために吸っている。

もし辞めたら、ベランダに出る口実がなくなる。

夕方、山に流れる雲を眺めたり、夜景を見て、考えに耽ることもなくなる。

吐き出した煙を目で追った先にある景色に気が付くこともなくなる。

世に無駄だと言われるものは、その先にある偶然を切り捨てて無駄だと言われている。

日の名残

‪窓際にソファを置いて、夕日を眺めて珈琲を飲みつつ、仕事しようとしたけど、全く手付かずだったと後悔をするのも、いい日曜日の過ごし方だ。

そうこうしてるうちに、外は真っ暗になって、もう取り返しがつかなくなる。

日が出ているうちは、まだ何か取り戻せる気がする。だから、焦るわけだ。いっそ、取り戻すべきだと感じるものは、手から放してみるべきだ。そうした時に、本当に日が暮れる。