アンリ・マティス《イカロス》についてーボードレールとの関係性を主としてー

§1 趣旨

アンリ・マティスによる《イカロス》は、1947年に自身が作成しパリのテリアード社より印刷された絵本『ジャズ』に収められた画が有名であるが、1946年と1943年に同じくイカロスをテーマとした切り絵作品を残している。本レポートでは、《イカロス》をテーマとした3作品を主として作品の背景にあるボードレールとの関係性を調査したものである。


§2 《イカロス》とは

マティスは晩年、新しい創作様式として切り絵を使用した。《イカロス》は同様式であり、ガッシュ絵の具で色彩を付けた紙を鋏で切り取った切り絵である。『ジャズ』の印刷に際して、出版社は同じガッシュを使用できるステンシル印刷技術を取り入れマティスのオリジナルの色に対する拘りに沿った形となった(1)。また『ジャズ』はテクストの執筆もマティス本人によるものであり、大久保は「マチスによる『ジャズ』 は、自身が書いたテクストと切り紙絵 による図像とからなる総合芸術である」と述べている(2)

§3 マティスとボードレール

《イカロス》の背景には、19世紀フランスの詩人であるボードレールの影響があるとされている。マティス自身による明確な言説は確認できないものの、マティスとボードレールには3点の繋がりが確認できる。

1,1947年に新装復刻された詩集『悪の華(Les Fleurs du Mal)』では挿絵をマティスが担当していること(3)(同じ年はマティスの『ジャズ』が刊行された年でもある)
2,マティスによる《Luxe, Calme et Volupté》の作題が『悪の華』の中の詩「L'Invitation au voyage」から引用されていること(4)
3,マティスが自身へに励ましとして身辺に置いてた作品《三人の浴女》の作者であるセザンヌがボードレールを暗唱するほどに熟読していたこと(5)

以上の3点からマティスがボードレールの影響を受けるには無理のない接点があることが分かった。

§3 《イカロス》への影響

前述の通り《イカロス》には、ボードレール『悪の華』に収められた「あるイカロスの嘆き」の影響があるとされている。「Les Plaintes d’un Icare(あるイカロスの嘆き)」は、ボードレールの死後に刊行された版以降確認できる章であり、存命中に刊行されたものには収められていない。「Les Plaintes d’un Icare」には以下の通りある。

「淫売の情夫たちは幸せだ、元気溌剌、鱈腹食って。この私といえば、雲を抱きしめたために、腕が折れてしまった。空の奥底で燃えている比類なき星たちのお蔭なのだ、焼け切ってしまった私の眼に太陽の思い出しか見えないのは〈中略〉何やら知れぬ火の眼差しを浴びて私は自分の翼が砕ける(se casse)のを感ずる」(6)

上記のボードレールの詩を踏まえおそらく、図1における背後の星のようなものは、「砕ける翼」であり、中央の赤い円は「空の奥底で燃えている比類なき星」と考えられる。図2は中央にあった人型の造形はないものの、「砕ける翼」が表現されている。図2には人型の造形がないため、中央の円が「空の奥底で燃えている比類なき星」と見て取ることは出来ないが、図3においては一層燃え盛るような表現で「空の奥底で燃えている比類なき星」が表されている。図3が1943年に作られた初めてのイカロスをテーマとした作品であることを考えると、中央の円は「比類なき星」と考えてもいいだろう。

 

§4 参考文献

 

⑴Museum of Modern Art,「Henri Matisse Icarus (Icare) from Jazz 1947」https://www.moma.org/collection/works/105386

⑵大久保恭子『アンリ・マチス 『ジャズ』のテクストをめぐる試論 (II)』関西外国語大学研究論集第93号,2011年

⑶山本昭彦『ボードレール「腐肉」とセザンヌ,マティス』岩手大学人文社会科学部紀要第72号,2003年,23p

⑷ボードレール『悪の華』鈴木信太朗訳,岩波文庫,1961年

⑸山本昭彦『ボードレール「腐肉」とセザンヌ,マティス』岩手大学人文社会科学部紀要第72号,2003年,24p

⑹南直樹『BAUDELAIREの《spleen》の形象ー空間篇』福岡大学人文論叢,第39第2号,2007年

 

 

逗留

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今年の4月に転職した。

 

転職する前に、浄土真宗本願寺派の僧侶と話をする機会があったので、転職の相談を持ちかけてみたことがある。

この僧侶の方とは、何度か仕事を一緒にさせていただいたこともある。

 

3億円あったら何をしますか。僧侶にそう聞かれた。

突飛なことを聞くんだな。と、私は思った。

 

そうですね。海の近くに家でも建てて、本を読んだりして、過ごしたいですね。と、答えた。

僧侶は、そうですか。と、うなずいて云う、多分、転職しても、そこにあなたが安らぎを感じるものはないと思いますよ。

 

この時、僧侶が言いたかった真意は、深堀していない。

そもそも、その選択は、あなたが幸福に感じる方向性には向かっていないと、言いたかったのだろうか。

 

 

 

 

窓について2

 

子供の頃から、窓の外を眺めるのが好きだった。

 

私は横浜の小学校に通っていて、晴れた日には教室の窓からランドマークタワーが見ることも出来た。

ここにいながら、ここに意識がない状態は心地いいものだと思う。

 

自分の家のベランダで室外機に腰をかけて遠くにある自分の学校を眺めていた。洗濯物を干しているので洗剤の香りがした記憶がある。

いつもはそこにいながら、意識がなかった場所に、その時間は意識が向いている。

 

外から見た方が、よく分かることや、考えやすいこともある。

時間が経って後で気付いたり、離れてみて気付いたりすることは多い。

 

その時間は決して今の価値を損なうものではない。

今が希薄になって、その境が曖昧になっていくような過程だろうか。

いまもここもない状態と言える。希薄な存在になれるその時間は窓のおかげだ。

 

窓の外は、ここではない。しかし窓越しに外を見る私は、ここにいる。

もしここに窓が無ければ、ここにいる私しかいない。