窓について2
子供の頃から、窓の外を眺めるのが好きだった。
私は横浜の小学校に通っていて、晴れた日には教室の窓からランドマークタワーが見ることも出来た。
ここにいながら、ここに意識がない状態は心地いいものだと思う。
自分の家のベランダで室外機に腰をかけて遠くにある自分の学校を眺めていた。洗濯物を干しているので洗剤の香りがした記憶がある。
いつもはそこにいながら、意識がなかった場所に、その時間は意識が向いている。
外から見た方が、よく分かることや、考えやすいこともある。
時間が経って後で気付いたり、離れてみて気付いたりすることは多い。
その時間は決して今の価値を損なうものではない。
今が希薄になって、その境が曖昧になっていくような過程だろうか。
いまもここもない状態と言える。希薄な存在になれるその時間は窓のおかげだ。
窓の外は、ここではない。しかし窓越しに外を見る私は、ここにいる。
もしここに窓が無ければ、ここにいる私しかいない。