席を譲れる人


席を譲れる人は、優しいだとか、気遣いがあるだとか、そんなことは、全く不確かな、主観的なものでしかない。
席を譲れる人は、席を持つということしか、そこに客観的な事実はない。
寄付だとか、親切だとか、そんなものは、持っている人間にしか出来ない。
席を譲られて、座っていた人間に、感謝するくらいなら、この電車で最初から座ってない人間に頭を下げるべきではないか。
あなたのために、座っている人間を殴って、席を用意しましたっていう人間がいたら、感謝するべきだと思う。
結局、いいことするにも、財力か、自分自身を捧げるか、どちらかしかない。
そのどちらも出来ない人間は、いいことすら出来ない、社会の中の、無視された存在だ。
その存在すら、持っている人間からは、認識されない。