ロボットの戦争


人工知能を持つロボットが戦争に参加する未来。もしかしたら現在でもどこかの分野では活躍しているのかもしれない。究極的にいつかはロボット同士の戦争で勝敗を決めるのだろうか。

勝ち負けには納得させうる過程が必要になると思う。
オバマ安倍晋三がジャンケンしてオバマが勝ったから、よし今日からは日本はアメリカになりますと言われても納得出来ない。
その過程で、いくら血が流れたか。これだけ人が死んだ、相手も死んだ、けど負けた。そのような過程。
さっきのジャンケンは極端すぎる。ロボットが人間に変わり土地を制圧していく過程があるのだから、血が流れないはずがないのだ。しかし、ロボットに家族を殺された。残された人間は誰を恨めばいいのか、肩透かしをくらいそうだ。
無駄に流れたように感じる血にもそれなりに意味がありそうだと思う。

散歩してて思ったこと集


電車の中に蟻が一匹いた。この蟻は一生、自分の巣には帰れないだろうと思った。


道に散らばってる砂でさえ、どこから来て、どうしてここにいるのか追いかけてみれば、もしかしたら地球の反対側から来てるかもしれない。


家の近くに大きな森があるので、その付近を歩くたびにおもうの森というのは人間が立ち入れる場所じゃないなとよく思う。ちなみに、インドのサンスクリット語には、人間が歩けるような道のある森と、入ることができない危険な森の二種類の言葉がある。


新幹線に乗ると、この見える風景全部を歩いてじっくり見ることは出来ないことが残念に思う。そういう足りない部分は、想像力で補わなければいけない。

力不足

許せない悪事を見かけて、この人悪いことしてましたと他の人に向かって叫ぶのは、その問題を一人では解決出来そうにないという力不足のようなものの自覚ではないかと思うようなことが最近あった。結局、自分の中の善悪の基準が瞬発的に大部分の裁量を担うようになって、許せなくなる。怒りのようなものが先行して、周りが見えなくなる。でも正義って何ですか、法とか、一般道徳かな。どうだろう。しかし、あの悪事を見たとき、全身の毛が逆立つようなあの不気味な感覚、忘れてはいけない気もする。