エアコン無しでは生活できない

私は基本的に、生活というものは、なるべく独立したものであるべきだと思っている。

生活を成立させるために依存するものが多いということは好ましくない状況だと思う。

自分自身の努力で依存するものを減らすこともできるが、なかにはそうでないものもある。

 

この夏も都内は暑くなりそうだ。よく言う東京はエアコン無しでは生活できないという言葉。

これは本当にそうで毎年室内で熱中症で亡くなっている方も多いのでエアコンがない生活というものは真実なのである。徒然草の中に、家の作り方について兼好法師が語る節がある。家づくりは、夏のことを考えて設計するべきだろうと語る。もはや都心の建物設計はエアコンが稼働する前提で造られている。

エアコンが欲しいわけじゃない、追い込まれてるだけだと思う。追い込まれてるから欲するだけで、僕たちが普段使う「欲しい」という言葉のニュアンスとは随分違うように思う。

しょうがないことだと思うけど、絶妙な違和感を覚えることがある。北海道だって暖房器具が無いと死んでしまうかもしれないと言えるけれど、北海道に住んでいた経験上、布団の中にいれば死ぬことは無いように思う。生き生きした生活では無いけれど。肝心なのは追い込まれたというところか。

名古屋 伏見 珈琲処カラスについて

名古屋の伏見駅から徒歩5分ほどのところに純喫茶と呼べる珈琲処カラスがある。駅から行かれる方は6番出口を使うといいだろう。

お店の外観といい、内装といい、「これこれ」と言いたくなるような純喫茶の空気に満ちている。

店内にインベーダーゲームの台がテーブルとして使われていたりおもしろい。

お昼時で混んでいたのか、最初に案内されたのは相席のテーブルになった。目の前のお婆さんが中日新聞を広げて読んでいた。

すみませんと言いながら席に着くと、どうぞと、にこやかだった。しばらくするとお婆さんがテーブルに小銭を積み上げて、「お金置いとくね」と店員さんに言ってお店を出て行く準備をはじめた。

お婆さんは読んでいた中日新聞を折りたたんで私に差し出して、よかったら読んでくださいと言って、出て行った。

私は店員さんへ、オムライスとブレンドコーヒーを注文した。オムライスは非常に家庭的な味付けだった。福神漬けが添えられていた。オムライスに福神漬けという組み合わせは、珍しいと思った。しかし考えてみると、下北沢のキッチン南海でも、オムライスを頼むと味噌汁が付いてくるのでなんでもありなのかもしれない。ところで、この味噌汁がとても美味しいのでいつか語りたい)

なにも言わずとも食後にコーヒーを持って来てくれることもありがたい。ブレンドを頼んだつもりだったが、アイスコーヒーが出てきた。外も暑いしこれはこれでいいだろうと思ってそのままいただいた。こういう偶然には乗っかるほうである。コーヒーには小袋に詰まったお茶受けが付いていた。

よい雰囲気だったので、名古屋に立ち寄った際にはまた行きたいお店であった。

旅行

先週、平日に有給をとって久しぶりに旅行に行ってきた。一泊二日の旅行。そこそこの宿を取った。

旅先であれを読もうこれを読もうと鞄に詰めた本をずっと読んでいた。

どうもやっていることは普段の休みとそう変わっていないはずなのに、何故こうも時間が輝いている気がするのか。考えて見ると、旅行というものは、そこに滞在できる時間が限られているから、その時間を有意義に過ごそうという(もったいないと思うような)考えになるので、時間に艶が出るのだろうか。

時間は有限であることを誰もが知っているはすなのに、これが80年とかの話になると人間の尺度では捉えにくくなって、つい、日々を、無下にしてしまうこともある。

人間が時間という尺度を捉えられる能力。他の言い方をすれば人間のタスクで処理できるのはせいぜい目先の数週間くらいなのだろう。

つまり人生はこれの積み重ねだから、終わりを意識して有意義に生きようとか別にそんなことは思わない。

人類的に言えば、そういう考え方の方がきっと共感者が多いはずだ。ただ、時間的な制限はその中身を濃いものにしてくれるかもしれないということは事実だと思う。

時間には終わりと初めがある。それは対立するものではない。本来いっしょに在るべきもの。ふたつでひとつ。そういうものだろう。

僕は有意義な時間を作り出すことは不向きな方だ。つい、時間を無駄にしてしまうことがある。そういう人間だから突然終わりが来た時に、理解できるように終わりが時間にはあることを考えておく。これは布団の中でも出来ることだから。

 

 

眼鏡を作りに行っただけの話 1

いま使っている眼鏡に満足がいかないので、友人から聞いたところの金子眼鏡店という眼鏡屋を訪ねた。

 

表参道にお店があり、外観は一見して眼鏡屋だとは絶対に思えない。電話で位置を確認したところ、その前を何度も通り過ぎていたのに気づけなかった。

電話にて「金子眼鏡(がんきょう)店です」と言って出たので、カネコメガネではないらしい。

 

東京には結構店舗があるのだけれど、たまたま気に入った眼鏡がこの店舗にしかなかったので、ここで作ることにした。

まず視力の検査の前に、今の眼鏡の使用した体感などを聞かれて、目が疲れると伝えたところ、なるほどといったような様子であった。

 

いま使っている眼鏡は一万円もしない安い眼鏡で視力の検査も数分で終わったが、金子眼鏡店の視力検査はとても細かい。検査だけで20分くらいは見てもらったのだろうか。それからレンズの選定に入る。つけたままでどのような視界になるのか、長時間の負担はないのかを確かめる。

 

言われてみれば全くその通りなのだけれど、もともと眼鏡は老眼鏡などを除いて遠くのものを見るための道具であるので、近くのものを見つめ続けると目のピントを合わせる能力が働き過ぎて結果的に目が疲れてしまうとのこと。つまり、近くをみることに力を使い過ぎてしまうことが原因らしい。

 

私は業務上、長時間のパソコン操作や資料の読解など近くを注意深く見つめる仕事が多いので、あまり目が疲れないようなレンズを紹介してもらった。

 

すでにフレーム代だけで36,000円を超えているが、レンズは何と46,000円という金額。

ドイツのカールツァイスという会社の作るレンズで、カメラのレンズなども作っているので知る人は知る会社らしい。

眼鏡は毎日つけるもので、これを通して世界を認識しているので、お金は惜しまないようにしようと思っていたけれど、ちょっと悩んで、結局買った。

 

出来上がりは来週、新しい視界を手に入れることが楽しみである。

 

 

 

雨が降っています

休日に降る雨は好きだ。

家にいても罪悪感がわかないから。

 

家にいて何をしていても許される。雨で外に出られなかったから、そう言える。

 

家にいて大人しく窓の外を見る。

向かいの家の雨樋が漏れている。室外機の屋根を叩いている。

 

それだけでいい。