旅行

先週、平日に有給をとって久しぶりに旅行に行ってきた。一泊二日の旅行。そこそこの宿を取った。

旅先であれを読もうこれを読もうと鞄に詰めた本をずっと読んでいた。

どうもやっていることは普段の休みとそう変わっていないはずなのに、何故こうも時間が輝いている気がするのか。考えて見ると、旅行というものは、そこに滞在できる時間が限られているから、その時間を有意義に過ごそうという(もったいないと思うような)考えになるので、時間に艶が出るのだろうか。

時間は有限であることを誰もが知っているはすなのに、これが80年とかの話になると人間の尺度では捉えにくくなって、つい、日々を、無下にしてしまうこともある。

人間が時間という尺度を捉えられる能力。他の言い方をすれば人間のタスクで処理できるのはせいぜい目先の数週間くらいなのだろう。

つまり人生はこれの積み重ねだから、終わりを意識して有意義に生きようとか別にそんなことは思わない。

人類的に言えば、そういう考え方の方がきっと共感者が多いはずだ。ただ、時間的な制限はその中身を濃いものにしてくれるかもしれないということは事実だと思う。

時間には終わりと初めがある。それは対立するものではない。本来いっしょに在るべきもの。ふたつでひとつ。そういうものだろう。

僕は有意義な時間を作り出すことは不向きな方だ。つい、時間を無駄にしてしまうことがある。そういう人間だから突然終わりが来た時に、理解できるように終わりが時間にはあることを考えておく。これは布団の中でも出来ることだから。

 

 

眼鏡を作りに行っただけの話 1

いま使っている眼鏡に満足がいかないので、友人から聞いたところの金子眼鏡店という眼鏡屋を訪ねた。

 

表参道にお店があり、外観は一見して眼鏡屋だとは絶対に思えない。電話で位置を確認したところ、その前を何度も通り過ぎていたのに気づけなかった。

電話にて「金子眼鏡(がんきょう)店です」と言って出たので、カネコメガネではないらしい。

 

東京には結構店舗があるのだけれど、たまたま気に入った眼鏡がこの店舗にしかなかったので、ここで作ることにした。

まず視力の検査の前に、今の眼鏡の使用した体感などを聞かれて、目が疲れると伝えたところ、なるほどといったような様子であった。

 

いま使っている眼鏡は一万円もしない安い眼鏡で視力の検査も数分で終わったが、金子眼鏡店の視力検査はとても細かい。検査だけで20分くらいは見てもらったのだろうか。それからレンズの選定に入る。つけたままでどのような視界になるのか、長時間の負担はないのかを確かめる。

 

言われてみれば全くその通りなのだけれど、もともと眼鏡は老眼鏡などを除いて遠くのものを見るための道具であるので、近くのものを見つめ続けると目のピントを合わせる能力が働き過ぎて結果的に目が疲れてしまうとのこと。つまり、近くをみることに力を使い過ぎてしまうことが原因らしい。

 

私は業務上、長時間のパソコン操作や資料の読解など近くを注意深く見つめる仕事が多いので、あまり目が疲れないようなレンズを紹介してもらった。

 

すでにフレーム代だけで36,000円を超えているが、レンズは何と46,000円という金額。

ドイツのカールツァイスという会社の作るレンズで、カメラのレンズなども作っているので知る人は知る会社らしい。

眼鏡は毎日つけるもので、これを通して世界を認識しているので、お金は惜しまないようにしようと思っていたけれど、ちょっと悩んで、結局買った。

 

出来上がりは来週、新しい視界を手に入れることが楽しみである。

 

 

 

雨が降っています

休日に降る雨は好きだ。

家にいても罪悪感がわかないから。

 

家にいて何をしていても許される。雨で外に出られなかったから、そう言える。

 

家にいて大人しく窓の外を見る。

向かいの家の雨樋が漏れている。室外機の屋根を叩いている。

 

それだけでいい。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海について

海が好きで夏でも冬でも月に数回は行っている。

何をするわけでもなく夏はビールを飲んで寝たり冬なら散歩したり特に目的はない。

 

視界いっぱいに広がるものを観るということはいいことだと思う。平日はビル郡ばかりで視界的には狭い世界だと思う。

 

オフィスで働いていると、こうしている間にも当然だけど海は波を寄せては返してを繰り返したり、いやそれだけでなく、世界中の自然的あるいは文化的な遺産や、秘境は、同じ時間の上に存在しているということが信じられない。

そうしてそこを観光している人やそこに向かって冒険している人が羨ましく思う。

 

ぼくはそういう生き方というか時間の使い方の方に価値を感じる、ただそれだけのこと。

 

世の中の大半のことは面白くない、こんな誰にでも出来るような、なんの面白みも、生き甲斐も感じることはなさそうなことで、世界のほとんどが構成されている。

長くいれば価値を感じられるとか、真剣にやれば価値を感じられるとかそういったものは嘘で、都合よく価値のないものに価値を与えようとしているだけだ。

 

自分がおもしろいと感じたら面白い、おもしろくないと感じたなら面白くない。ただそれだけ。世界の認識主体は自分であると疑わないのに何故。

 

しかし、逆に言えばこの全く面白みのないことで生活が成り立っていて、全人類が面白いことを本当の意味で追及し始めた時、今の生活模様は全く一変するだろう。

 

こういう関係は僧侶と俗人に似ている。僧侶はどうしても世界の余分を糧に生きている。いくら修行だの苦行だの謳っていても苦しみから隔離された場所に避難した、ぼくには僧侶たちがそうにしか見えない時がある。

苦しみと向き合ってもがいて生きているそんなふつうの人間の方が余程強いなと思う時もある。

 

でもこれは仏陀の教えの本来あるところで、まずは自分を救うという始まりから言えば当然のことだと思う。嫌だなと思ったらそこから離れる。ただそれだけの教えなのだと思う。

ここ1年間で買って良かった物

 

1位 Air Pods - apple

自分が求めていたイヤホンの形。

AirPods を買うまでは首に架けるタイプのBluetoothイヤホンを使っていたけれど、有線が鬱陶しく完全無線タイプのイヤホンが欲しかった。いくつか既にそのようなものはあったのだけれど、デザインがごちゃついていて耳に付ける気には到底なれなかった。その点、AirPods はシンプルで素晴らしい。

購入を検討している方がいれば、迷わず購入するべきだろう。早く購入して生活を豊かにした方がいい。

 

2位 iPad Pro と Smart Keyboard- apple

MacBook Proを同時期くらいに購入したけれど、買って良かったなと思うのはiPad Proとsmart keyboard 。

ゲームしたりネットサーフィンしたり手軽に動画編集したり文章書いたり、絵書いたりとにかく便利。

大体のことはこれ1つで済むので外出するときは大抵持ち運んでる。

 

3位 X Series FUJIFILM X100F -富士フィルム

デザインに一目惚れして買ってしまったカメラ。

はっきり言って器用なカメラではないと思うけど、制限された中で活動することは嫌いじゃないので問題ない。むしろ、あれもできるこれもできるという物よりは、これなら出来るよという物の方が私にはちょうどいいのだ。

このブログに掲載している写真はx100fで撮影したものかiPhone Xで撮影したもの。

正直な話、iPhone Xのカメラが相当優秀なので、たまにx100fを家に置いてきてしまう。

 

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5位 Kanken No. 2 Laptop 15" Black - Fjallraven

 

最近よく見るこのマークの鞄。私はこのブランドの鞄が好きで3個持っている。

中でもよく使うのがこれ。背中の別ポケットMacBook pro 15インチ まで収納出来るので非常に使い勝手が良い。

しかし、ほとんどiPad Proで事は済むので、MacBook Proを持ち運ぶことは全くない。

代わりに雑誌をそこに収納して鞄の整理を付けている。勿論iPad を入れてもいい。

 

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以上

 

中にはここ1年間よりも前に買ったものもある気がする。